国指定 重要文化財
平安時代の中期の作風が伝えられた、周辺地域でも最も古い仏像です。地方の仏師により造像されており、そのお姿は全体としてやさしく、上品な感じがただよっています。ふっくらとした瞼や頬から、お顔がおだやかであり、たいへん親しみやすい仏像となっております。
三重の塔が都の大巧により造られ、中央の洗練された文化をそのまま持ち込んでいることに対して、地方の仏師によって庶民に親しみやすい仏像が造られたことは、非常に対照的であります。大法寺が古くからこの地方の庶民の信仰にも深く根差していたことをうかがい知ることができます。
菩薩とは、悟りを開いて如来になる以前の修業時代のお釈迦様をもともと意味しており、悟りを開く修行をしつつ、人々の苦しみを救う存在であります。特にできるだけたくさんの人々を救うためには、お手やお顔が多い方がいいという考え方から、十一の面を持つ十一面観音菩薩が造られました。十一の面はそれぞれ違った表情をしており、人それぞれ異なる苦しみを、その人に合わせて救うとされております。
国指定 重要文化財
十一面観音菩薩が安置されていた厨子が、須弥壇の上に置かれおります。厨子は四方に放射状に垂木が伸びており、その端麗さはて禅宗様(唐様)の造りの特徴となっております。厨子の屋根の両端には、立派なしゃちほこが勢いよく喰いついております。このしゃちほこは、わが国で鯱(しゃち)が屋上に飾られるようになってから、最初のものではないかといわれています。
須弥壇も上下に繰形をつけ腰のくびれた典型的な禅宗様(唐様)の造りとなっております。これら厨子及び須弥壇が禅宗様(唐様)であることは、純和様である三重の塔との対照的となっております。
国指定 重要文化財
全体の彫りが浅く、衣紋線のおとなしいなど十一面観音菩薩と作風が共通しており、十一面観音菩薩と同じ作者により同じ時期に造像されたと考えられております。十一面観音菩薩と比較し、引き締まった俊敏な像容をしており、技術的にはより優れているとされます。
普賢とは普遍な教えとの意味であり、普賢菩薩は仏の理性をつかさどるとされております。辰年および巳年の守り本尊であるとともに、女人往生の仏として女性からの信仰も多く受けております。
我が国で国宝または重要文化財に指定されている普賢菩薩像は10体ございますが、近畿圏周辺をのぞけば、東京都と山形県と当山に限られます。
長野県指定 県宝
三重塔を建造した大工四朗(おおたくみしろう)の系譜を引くと考えられる人物により奉納された鰐口(わにくち)であります。お堂の前の軒下に太い紐をつけて吊るし、礼拝の時に鳴らすものであります。
青木村指定 天然記念物
永正8年(1511年)に本堂建立を記念し、境内に枝垂桜とこのかやの木が植えられたとされており、樹齢500年の老木です。かやの実は油をとったり食用にすることができ、かやの葉は独特の匂いから燻して蚊を追い払うことに使われました。
このかやの木から採れた「かやの実」は、大法寺名物の歴史の味として本坊および三重の塔近くの事務所にて、お買い求め頂くことができます。
三重の塔に向かう参道を中心に、羅漢石像が並べられております。各石像ごと異なった表情を持っており、そのユーモアあふれる姿は、訪れた人の心を和やかにさせてくれます。寄進により現在も少しずつその数を増やしております。
大法寺にて真田幸村が愛用したとされる茶釜が、展示されております。大法寺より西南およそ2㎞の地に、幸村の長姉小山田村松殿の家がありました。また大法寺の周辺地域の豪族がたびたび真田家の支配に対して反抗を試みたことから、真田親子がその平定に訪れていました。
平成16年に馬場良治氏により三重の塔の壁画が復元され、館内に展示されております。普段は見ることができない三重の塔内部の創建当時の壁画が、精密で色鮮やかに復元されています。
その他にも、地方にゆかりのある芸術家のコレクションを楽しむことができます。
別途、入館料が必要となります。
長野県指定 県宝
大法寺より南およそ2㎞の地に日吉神社が鎮座します。もともとは大法寺の鬼門にあたる山王平に祭られていたものが、現在の地に移座されたと言われております。浦野の荘と呼ばれた周辺地域が、大津の日吉神社の荘園であったことから、大津日吉神社より勧請されました。
日吉神社より南に向かい別所道が整備されており、別所温泉安楽寺まで遊歩道を楽しむことができます。