大法寺にまつわる万葉集 東山道と浦野の馬駅(うまや)
大法寺は、東山道の開通にともない奈良時代に創建されました。万葉集には、険しい東山道の旅路の安全を願う和歌と、馬駅(うまや)があった浦野の地で都に残した女性を懐かしく思い出す和歌が、大法寺に深い関係のある和歌として残されております。
「信濃路(しなのぢ)は 今の墾(は)り道 刈りばねに
足踏ましなむ 沓(くつ)履け我が背」
(現代語訳)
信濃の路は、いま切り拓かれたばかり。切り株に、
足を踏みつけぬよう、きちんと靴を履いて下さい。
険しい東山道の山路を行こうとする旦那に対して、怪我のないようきちんと靴を履いてくださいと、旅路の安全を願う妻の気持ちが歌われております。大法寺の近くには温泉で有名な沓掛の地があり、「沓履け」にかぶせてあると解釈されております。
「かの子ろと 寝ずやなりなむ はだすすき
宇良野(うらの:浦野)の山に 月片寄るも」
(現代語訳)
あの子の そばで眠ることができない
はだすすき。 浦野の山に 月が片寄っている。
大法寺の参道近くにあった浦野の馬駅(うまや)において、都に残して来た女性を思い出し、都での生活を想う寂しさが歌われております。
大法寺周辺には「大法寺遊歩道」が整備されており、この東山道の旅人や、浦野の駅の人々の想いを体験することができます。三重の塔裏側の道を西に向かい、地図にもない木々に覆われた山道を超え、子檀嶺岳、塩野入湖の景勝を眺め、東山道浦野駅跡地を通り、最後に青木村道の駅に向かうおよそ2㎞の遊歩道であります。
この遊歩道が通る当郷の地域は、「日本霊異記」にある他田舎人蝦夷(おさだのとねりえびす)が住んだ地とされており、古くから仏教信仰が根付いていた地であります。
また、三重塔裏の道を東に向かいますと、天神山山頂につながる山道が整備されております。大法寺遊歩道に比べると短いものの、大きな起伏と杉の木に囲まれた道は、奈良時代の東山道に誘うものであります。天神山山頂からは、信濃川にむかって開く信州の鎌倉と言われる塩田平や、夫神岳から子檀嶺岳につながる稜線を眺めることができます。
なおこれらの遊歩道は、実際に東山道が通ったとされる道とは別の道も含まれております。舗装されていない道もありますので、歩きやすい服装で参拝されることをお勧めいたします。